国際免許の申請に、行ってみた

先日、ドイツへ長期滞在するということで国際免許を取っておこう!と思ったので新宿都庁まで申請しに行ってきました。

夕焼けが綺麗。

新宿パスポートセンターは新宿駅西口から都庁の方へまっすぐ歩いて10分くらい、でしたが、都庁自体が結構広々していて、パスポートセンターの看板を見つけるまでに少し迷いました。

なお、必要な持ち物はパスポート、免許証、パスポート用写真、お金が2300円ほどなのですが、パスポートセンター内の写真機が壊れて使用不可になっていたので事前に撮るか、近くにある写真屋さん(1800円くらい)で用意してもらうのがお勧めです。

新宿のパスポートセンターの営業時間は9時〜17時と書いてあるのですが、実際のところは有料手続きに関しては16時過ぎくらいには締め切っていました。

自分はかなりギリギリの滑り込みだったみたいなので、結構時間には余裕を持って向かった方がいいですね!

手続き自体は混んでなければ3分くらいで終了します。

氏名や出生地などの個人情報を申請書類に書いて、免許証、パスポートとともに受付の方に提出、支払いスペースで料金を支払ったらすぐに警察官の方が発給してくださいました。

とてもあっさり終わったので驚きました。すごいですね。

発給されたらこんなしおりももらえます。

国際免許は発給されたらどんな国でも1年は使えるものと思っていたのですが、国によって条件が違うようで、ドイツの有効期間は6ヶ月でした。

また、ドイツやスイスなどジュネーブ条約に加盟していない国々は国際免許+日本の免許の携帯が必要など、渡航先の国によって詳細が変わってくるので調べた方がいいですね、、、。

有効期間以上滞在する場合は、日本の免許を滞在先の国の免許に書き換えます。

色々手続きやルールが違うんですね。

ライプツィヒにいく

もうすぐドイツへの渡航の日にちが迫ってきているのですが、行く前の日本での準備や、ドイツに到着してからの手続きや諸々が不安な日々です。

自分が行こうとしているドイツの都市はライプツィヒ。

人が言うには、日本で言うところの北海道のようなところだ、福岡のようだという話を聞いたことはあるのですが、一度も行ったことがない場所なのでまだ実態がよくわかりません。

とにかく自分の周りにいる留学経験者の方達からは、ヨーロッパでも最大級の鉄道駅、ライプツィッヒ中央駅を街の中心としたコンパクトで住みやすい場所だと聞いています。

そんな街で自分が行く学校はライプツィヒ大学付属の語学学校、interDafです。

その学校で月曜日から金曜日まで授業を履修し、ライプツィッヒ大学への正規入学を目指します。

住む場所は学校の寮でもう手続き自体は済んでるはずなのですが、いまだに寮の場所や細かい情報は教えてもらえず、自分がどんな場所で生活していくのかまだ全くわかりません。

着いたら当日寮に案内してもらい、もう2、3日後にはすぐに授業が始まります。

ライプツィッヒ含めドイツには知り合いや友達が何人かいてくれているので、とにかく気を張りながらでも数ヶ月かけて生活に慣れていきたいです。

そこの語学学校で数ヶ月学んだ後に、ライプツィヒ大学の発行するDSHというドイツ語語学試験、そしてスポーツテストを受験することになります。

そして早急にビザを取り、バイトをしながら生活の基盤を整えなくてはなりません。

がんばります。

触れてきた演劇歴

自分が触れて人生に影響を受けてきた演劇を少し紹介したいです。

自分はもともと高校までひたすらスポーツをやってきた人間で、一時期プロアスリートになりたい、プロサッカー選手になりたいと考えていましたが、ある時高校の選択科目で演劇を選択し、その授業でままごとの「わが星」という作品を見ました。

ままごととは、今なお日本の小劇場演劇に大きな影響を与える平田オリザさんという演出家が立ち上げた、青年団という劇団から派生した演劇ユニットです。

そのユニットの代表作が「わが星」という作品なのですが、それをDVDで鑑賞した時に大きな衝撃を受けました。

今まで自分が「演劇」と聞くと想像していた小難しい理解し難い高尚な芸術、みたいなイメージからはおよそかけ離れた空間が展開されていて、それを見て演劇ってすごい、やってみたい!と思うようになりました。

ままごとのわが星は、よくある(あった)日本の大家族の一家団欒的な日常を描きながら、同時に宇宙や星の生誕と死を描くという、ミクロかつ壮大な演劇空間が繰り広げられる作品です。

そんな空間を、とてもシンプルな円形の白い舞台の上を、ラップとドラムと身体表現で、ほのぼのする家族の日常を通しながら震えるほど遠くて近い大きな物語を描き出していました。演劇は難しい文学的な表現だけでなく、音楽や身体や踊りや歌の中からも生み出される多種多様な表現ジャンルなんだということを学びました。

自分はアスリートの、自分の身体の可能性を奥深く追求していく姿にとても興味があったので、そういう演劇のフィジカル的な営みや繋がりみたいなものに共感を覚え、強く関心を持ちました。

それからというもの、大学の演劇サークルで活動する傍ら、ひたすら演劇作品や映画、ドラマを片っ端から見漁るようになりました。

特に演劇作品で好きだったものは、蜷川幸雄、野田秀樹、つかこうへいさんたちの作品です。どれもスタイルは違いますが、俳優の身体、フィジカルを通して観客に訴えかける熱量の高い作品を多く作り出してきた人たちです。

蜷川幸雄さんは当時なかなかなかったジャニーズをはじめとするアイドルを積極的に起用し、あえて若い人たちがなかなか知らないような難しい古典作品をたくさん演出してきた方です。

今や大物俳優になっている小栗旬、藤原竜也なども今ほどあまり注目されてない時期から作品の主役に抜擢し、演劇という世界で鍛え上げてきました。

蜷川幸雄さんの演出は、基本大掛かりで意外性のある舞台美術と音楽を使用し、開演開始3分で観客を引き込むと本人がおっしゃっていたほど息を呑むような舞台のオープニングが展開されることが多いです。そこに小手先の技術を捨て去って俳優本人の身体やポテンシャルを高い熱量と共に魅せていくスタイルにとても憧れがありました。

野田秀樹さんは東京大学の夢の遊民社という演劇サークルから出発して、豊富な運動量や日本語でラップのように韻を踏んでいく言葉遊び、そしてなんでもない日本語の言葉をどんどん派生させていって最後にはぞっとするような壮大で宇宙空間が広がるような劇世界に観客を掻っ攫っていくような作品をたくさん作り、演出している方です。

役者としての能力もとても高く、かつては読売巨人軍の春のキャンプメニューを取り寄せ劇団員にやらせていたという噂を聞くほど、鍛え上げたフィジカルで縦横無尽に舞台を駆け回る物凄い俳優でもあります。

つかこうへいさんはまるで機関銃のように俳優に台詞を放たせながら、まるでF1レースを完走するような舞台を作り上げた人で、訓練された俳優が身体を制御できなくなるほど全てを出し切るような佇まいを見て、言葉では言い難いほどの高揚感と余韻を観客に感じさせます。

このような感じで、自分はアスリートの身体や、俳優のフィジカルを通した表現に強く惹かれるようになり、両者に相関関係のようなものがあるとしたら、それを繋げるような研究をしてみたい、と考えるようになっていきました。

自己紹介②〜スポーツについて〜

こうらです。

自分のスポーツ歴についてを少し紹介します。

スポーツは物心つく前からやっていて、まず2歳から水泳をはじめました。

福岡生まれなので地元のスイミングスクールからです。

その後東京に引っ越し、ベトナムにも引っ越し3年ほど滞在している時も水泳は続け、選手になったことはありませんが10年くらいの歴があります。

水泳に関してはその後高校生の時にイトマンスイミングスクールや小中学校の水泳の授業などでインストラクターをしていたこともあるので、子供と触れ合いながら教える経験もしていました。

また空手に関してはあまり熱心ではなかったけれども極真と松濤館流の二つの流派をやっていました。

極真はフルコンタクト空手と呼ばれていて、相手の顔面以外の体を直接打ち合うスタイルの組み手をします。

また松濤館流は伝統四代流派の一つに数え上げられていて、直接殴ったり蹴ったりはしないけれど遠い間合いから一気に相手との距離を詰め、寸止めしてポイントを争うスタイルの組み手をします。

どちらもかなりやり方やスタイルは違いますが、両方を学べてとても勉強になりました。

中高の部活ではサッカーをやっていてポジションは主にサイドハーフとサイドバックでした。

現在のところアスリートのトレーナーを目指していますが、普通のトレーナーではなくて、役者やダンサーを見れるフィジカルトレーナーになりたいと考えています。

自己紹介①

初めまして。

こうらと言います。

20代半ばからドイツに行き、ワーホリビザで語学学校に通いながらライプツィヒ大学かケルン体育大学のスポーツ科学部への入学を目指しています。

海外では自分くらいの年齢で新しい専攻にチャレンジしたり大学や院に通い始めることは割と一般的な傾向にあるみたいですが、日本でそれを行うとなるとかなりの少数派な人生の歩み方になってきます。

自分くらいの年齢になってくると会社でそこそこ安定したポジションを築いていたり、中には結婚して子供が生まれ充実した日々を送っている友人もいたりします。

ワーホリビザ自体は30歳まで使用可能ですが、とはいっても果たして日本で20代半ばや後半の人間は若いという括りに入るのか。会社を休んだり辞めるなりして1年間を海外に費やすというだけでも、とてつもない冒険になる、そんな日本の社会だと思います。

自分は私立の上位大学での社会学の学士を持っており、高校までは水泳10年、空手は極真と松濤館流の掛け持ち、部活はサッカーをやるなどスポーツ三昧で生きてきました。

大学からはあまり勉強には熱心になれなくて、ひたすら演劇活動をやっていました。

舞台の裏方もやりましたが、役者で演劇の聖地といわれるような下北沢の本多劇場や紀伊國屋ホールの公演に出たり、有名俳優や演出家のワークショップやオーディションをたくさん受けたり、、。とにかく身体を鍛えまくって、一時代前の劇団夢の遊民者や第三舞台での役者のトレーニングなどを調べ漁ってそれを自分でこなしまくるといういかれた人間でした。

将来はプロになる。

そんな道を本気で探っていたけれど、なかなか思うような場所に行けないもどかしさと、日本の演劇界特有の表沙汰にならないパワハラやセクハラに疲れ切ってしまい、ある時完全に演劇界からは離れリセットするようになりました。

そんなこんなでしばらく接客業を続け、AppleStoreや銀座の富裕層向けラウンジスタッフ、有名ジャズライブレストランや御三家ホテルの社員やアルバイトなどサービス業をそれなりの場所でいろんなことをしていましたが、その傍らでドイツ語の語学学校に通い続け今に至ります。

正直自分はほんとうに何者でもありません。

役者としての自分のことを知ってる人も、覚えてくれてる人ももうおそらくあまりおらず、かといってしっかりした企業で素敵なパートナーと幸せなライフスタイルを送っているわけでもないです。

正直結構きついです。

それでも、自分には人生で何者かになりたいという野心と、演劇やさまざまな年齢層、職種の人たちと同年代の人間以上におそらく関わってきた自分だけの経験値と、鍛え上げている身体で、これからの人生を全集中でやっていきたいなと思っています。

悔しい、という気持ちや、自分に出せる最大限のハングリー精神でこれからの自分の人生に向かっていきたいです。

ドイツ留学の準備①

今年の終わりにドイツへ出発することになりました。

準備段階で抱えている課題はもう盛り沢山にありますが、思いついたところから少しづつ書いていこうと思います。まだきちんと文章を整頓する余裕はないので、日誌みたいなものと思っていただけたら嬉しいです。

まず、自分はドイツでの大学進学を目指している段階ですが、最初にワーホリビザを選択することになりました。

ワーホリビザは1年間滞在できるということも大きいですが、金銭的な部分でパスポートの期限以上の滞在をするには残高証明というものが必要になります。

これはビザの種類によって金額がまちまちになっていて、例えば学生ビザを申請するとなると1年間で100万円以上もの金額の閉鎖口座が必要になってしまいます。これがワーホリビザになると年間で2000ユーロ、日本円で現在のところ36万円と、比較的金銭的ハードルの低い条件になり、大学進学の結果が決まってない中で滞在するには最も適したビザだと思いました。

現状自分のドイツ語のレベルはGoetheの資格でb2に差し掛かるところなので、現地の語学学校でブラッシュアップしつつアルバイトをし、生活していきたいです。

今回はこれにて。